大森靖子の「KEKKON」で推しカプをKEKKONさせよう【勝手にイメソン】
大森靖子さんの「KEKKON」という曲。
単純にひとつの曲として素晴らしいのですが、
この曲、イメソンとしての汎用性が非常に高い。
(イメソンとは、自分の好きなキャラや好きなカップリングのイメージに合う・連想させる曲のこと)
タイトルから「結婚」ソングと思われるかもしれないが、なんというかそんなレベルではない。
ただ2人を結婚させるとかではなく、もっと奥深いところでつながらせることができます。
一緒にこの世界にメンチ切ってくれる素晴らしい歌詞
この世界にメンチ切るなら君とだと思う
分母増やしても君とは運命
ありがちなJ-POPの「世界中が君の敵でも僕だけは君を守るよ」や「いつまでも君を離さないよ」系に飽きた人間からしたら、ここだけで胸がキュンキュンする。
自分が守られる対象ではなく、共闘してくれる存在。
確かにそんな相手なら、運命以外の何ものでもない。
「守るよって言われても、別に守らなくてええねん。一緒に闘ってくれたらいいのに」と、世界中で絶対に誰か思っていたことを歌にしてくれてありがとうございます…
「大嫌い」なのに「大好き」
KEKKONしようよ 大嫌い 大嫌い
わかんねえ クソバカ KEKKONしようよ
KEKKONしようよ ぜんぶ大丈夫 助けよう
クソ垂れ流しても 泣きながら
生きていようよ 大嫌い 大嫌い
この世界にメンチ切るなら君とだと思う
1番サビの歌詞。驚くのは、「KEKKON」というタイトルなのに、この曲の歌詞には「好き」が一切出てこないこと。
なのに、そこには愛しかない。
愛でずっと殴られている感覚。
クソも涙も垂れ流しながら。ドロドロでグチョグチョなのに、あまりにも美しすぎる。
この曲は「大嫌い」が8回も出てくるが、全部「大好き」と叫んでいるようにしか聴こえない。
「お願いだから愛させてくれ」と。泣き叫んでいるようにしか聴こえない。
「死ぬこと以外かすり傷」への対抗
「死ぬこと以外かすり傷」って誰が最初に言い出したかは知らないけど、割と多くの人が使っている。座右の銘に掲げる人もいる。
でも、そんな人たちばかりではない。
ってか、人間はかすり傷でも余裕で死ぬ。
NO WAY気になるなってそうか
ノーカンのつもりがいつの間に痛い
かすり傷で死んじゃう系なぼくら
おまえなんかには一生
わかりやしないOH YEAH
わかってたまるかYEAH
彼岸に立っても衝動を護れる自信は
なんの役に立つNO
なんのためにあるNO
圧倒的に特別な僕だとして
誰かみつけてよ
自分でも知らない間に傷を負って、だんだん重症化していく。
最初はかすり傷でも、それがキッカケで人はいくらでもボロボロになる。
かすり傷でも余裕で死ぬ人間を、ただ単に「弱い人間」として捉えていいのか?
「わかりやしない」「わかってたまるか 」。
きっと「わかってほしい」というわけではない。でも叫ばずにはいられない。
魂の根底の叫び。
儀式もキスもなくても愛でつながれる
儀式はいらない
誓いはキスじゃない
愛しか届かない次元でつながるの
儀式や誓いのキス以外でも、愛情表現はいくらでもある。
逆に、儀式をしたからキスをしたからといってその愛が深いとは限らない。
「恋愛」や「家族愛」が愛情ランキングで上位というわけではない。
「友達以上恋人未満」という言葉があるけど、恋人は友達よりも愛が深い!ってこともない。
世の中には人の数だけ愛のかたちがあるのに、私たちはあまりに儀式やキスといった行為によって愛を確かめ合うこと、ひとつになることを重要視しすぎている。
そりゃ、それらが大事なときもあるけど。すべてがそうというわけではない。
私たちは、裸のまま他人のままで 、愛でつながることができる。
KEKKONの意味
この曲は結婚でもあり、血痕でもあり、結魂でもある。
が、私は結魂が一番近いなと思った。
魂で結ばれる。他人のまま、そのままのかたちで。
魂でのつながり、こういうの オタクはみんな大好きなんだよなぁ…
なんでオタクって「魂」って単語好きなんだろう…(笑)
この曲、この世に存在する様々なカップリングに当てはめることができます。
もうなんでもありです。
だって君が僕を好きとかじゃなくても楽しいんだから。
他人のままでOK
他人のままでOK
仮に君が僕を好きとかじゃなくても 僕らは楽しい
結婚はお互い好きじゃないとダメって感じあるけど、KEKKONはお互い好きじゃなくてもいい。素晴らしすぎる。
この世には恋愛、友愛、家族愛、といったいろんな愛があるけど、その人によって愛って違うし、簡単にこれらに当てはめるのは自分の大切な心を殺しているようで違和感があった。
別にずっとそばにいることが一番の愛ってわけでもないし。
何かを与えているから愛している、与えてないから愛していないってこともない。
自分たちだけの“愛”があって、それはとても尊く美しいものということが、この曲に込められているなと思いました。
ラストの、歌詞カードに載ってないところまで絶対に聴いてください。